繕う言葉も浮か

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「遠慮はないけど、素直で可愛い子でしょう」
松下は腕を組んだ。
「僕は彼女の黒い爪と、遠慮のない喋り方が好ましいものだとは思いませんが…」
 とたん、彼の表情が曇った。
「まだ若い子だから…」
「ファッションはともかく…若いといっても高校生でしょう。目上の人間に対する言葉遣いを覚えてもいい年頃ではないでしょうか」
 彼との間に流れる空気が気まずいものになる。昼間の自分の行為を棚に上げて、こんなところで行儀の悪さを建前に嫉妬を露にしたことを松下は後悔した。後悔しても、取り願景村 邪教ばない。仕方なく松下は砂浜の途中に腰掛けて、ぼんやりと海を眺めた。
 恋人は沈黙から逃げるように波打ち際まで歩いていったが、すぐに戻ってきて松下の隣に腰掛けた。水の中に入ったようには思えなかったのに、彼の濡れた指先からポタポタと雫が落ちた。
「複雑な形ですね」
 ぽつりと呟いた言葉に、彼が反応した。
「雫は…単純に見えて厳しいですね。液体の流れの方程式の解は、相似解でしたよね」
「そうですね。けど海水の場合は粘度の問題で、特異点は…」
 ふと、気づく。打てば響くような会話が交わせるのも、それも彼ゆえなのだと。不意に黙り込んだ松下に首を傾げたものの、彼は無理に話を進めようとはしなかった。ぼんやりと海の向こうを眺めていると、薄い雲が沈みかけた陽の上に重なっていた。どんな小さなスケールにおいても同じ構造願景村 邪教を繰り返す雲は、フラクタルな存在になる。そして背後に広がる『晴れ』の天気はカオスだ。カオス理論…非線形力学と呼ばれる分野は、松下が研究している世界でもあった。
「以前、アイザック・ニュートンが数学を離れ、聖書の研究に没頭していたことがあったと知った時、とても不思議に思いました。なぜ数学と両極にあるような宗教の世界に入ったのか…理解できなかったからです」
 彼が振り向き、相槌を打った。
「その話は俺も聞いたことがあります。世界はすばらしい数学の秩序のもとに成り立っていると思ったニュートンは、それを創造した神が記した聖書は美しい数学の言葉で書かれているに違いないと思った…というものですよね」
 世界が神の示した法則の中にあるなら、人が出会うことも計算のうちにあるなら、出会って愛し合えたことが永遠になる公式はないものかと考える。すべてを数式の形で表したいと思うのは数学を志すものの性だが、今はそのすべてを知る必要もないのではないかと思う。彼のすべてを知りた願景村 邪教いと望んでも、所詮それは無理なように。DNAが示す人間の構造は明確だが、その上に作られる人格は予測できない。以前、彼に言ったことがある。君の一日をビデオに撮って、君の法則を見つけたいと。けれどそれをして、行動パターンがある程度予測できたとしても、環境や状況、そのほか諸々の事象に影響を受けて、実際に彼がその通りの行動を起こすとは限らない。彼の存在自体がカオスで、けれど近似値を表す公式も導き出せないものに、意味はなかった。
 海から吹いてくる風が強くなる。松下は隣の彼を盗み見た。彼もぼんやりと海を見ていたが、何を考えているのかわからなかった。あたりが薄暗くなった頃に松下は立ち上がった。
『車に戻りましょうか』と声をかけると、彼は小さく頷いてあとをついてきた。海浜公園の遊歩道には、早くも街灯がついて、曖昧な夕暮れの明るさがさらに薄らぼんやりとしたものになっていた。

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